故郷はどんな場所か調査 1位は「生まれ育った場所」で56%

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何でも調査団
住まい・生活 2015年5月22日

故郷についてのアンケート・ランキング

「あなたの故郷はどんな場所?」「故郷を離れた理由は?」「ふるさと納税の納税先を決めるポイントになるものは何ですか?」など“故郷”に関することをアンケート調査しました。
アンケート実施日時:2015年5月8日~2015年5月14日/有効回答数:3,482



レポート02 故郷はどんな場所か調査 1位は「生まれ育った場所」で56%

あなたの故郷はどんな場所?(複数回答可)

グラフ
編集部まとめ

総計で見ると、1位は「生まれ育った場所」で56%、2位は「実家」で40%、3位は「今住んでいる場所」で30%、4位は「思い出のたくさん詰まった場所」で23%、5位は「自分にとっての原点の場所」で19%でした。

■上の世代の人は、事実よりも心情を表す選択肢を選ぶ傾向がある?
年代別で見ると、若い世代のほうが「実家」「今住んでいる場所」など事実そのままの選択肢を選ぶ傾向にあり、逆に上の世代の人のほうが「思い出のたくさん詰まった場所」「自分にとって原点の場所」など心情を表す選択肢を選ぶ傾向が見えました。

上の世代ほど心情を表す選択肢、なるほど。確かに昔のことって、年をとればとるほど懐かしさが増してる気がします。

「調査団員の声」では、みなさんの故郷がどのようなところだったか、住んでいた場所の環境や住んでいた人、あなたがどう思っていたのかを教えていただきました。
調査団編集部:カワンヌ副団長

調査団員の声
50代男性

海・川・山それらが全て遊び場だった。周りはUSAの子供がいて、小学校の校庭には金網で仕切り線があって、駄菓子屋では、風船ガムやドライフルーツを売っていた。まだ十円札があった頃の故郷の思い出。給食は金型で打ち抜かれた月型のトレイにコッペパンとケチャップ味の豆とジャムと肉料理と牛乳。フォークとナイフと箸で食べていた。満月の夜、山から川へ真っ赤な水の流れのようにカニが産卵の為歩いていた。あくる朝は車にひかれたカニ達の死骸で車がスリップした後が見えた。ある年、東京のデパートでカニが売れるという事で業者が入り始め、姿を消した。そんな故郷から父に仕事の関係で中部地区の海とは全く関係ない内陸部へ、そこから点々と住まいが変わり定年を迎え・息子も独立・父はとっくに逝った。高齢の母親と家内と三人また、関東に戻って来た。でも、故郷は全く変わってしまった… 50才  東京都  既婚 男性

とても細かな描写でその光景が目に浮かんでくるようです…懐かしくて、でもそれが今はないことにさみしさも感じます。調査団編集部:マリカナ団長

60代女性

田舎の商店街育ち。昭和30年代、私が子供の頃は家族も多く、近所の子供達も多く、街の人も多く、毎日賑わっていた。港も近く、小さな漁港もあり、漁師のおかみさんが朝獲れたての魚を手押し車で売りに来る。活きた魚を当たり前に食べて育ったせいか、身体だけは丈夫。賑やかな商店街で、その横丁に近所の子供達が集まり、地面に蝋石で丸や三角、四角などを描いてケンケンしたり、大きな丸の中でお相撲をしたり、地面に小さな穴を作りビー玉など、チャンバラやママゴト、鬼ごっこなどなど、毎日遊びには事欠かなかった。そうそう、ドッジボールや野球などは放課後の校庭で、下校後また学校への行く時は子供の自転車だった。そういえば、フラフープやホッピング、抱っこちゃんなども流行ったころだ。どこで遊んでいても、大人の目があったように思う。 67才  神奈川県  既婚 女性

フラフープにホッピング! 私の子供のころもはやってましたよ、なつかしー★>▽< 今やったらフラフープとか、ストンッて落ちちゃいそうですw調査団編集部:カワンヌ副団長

30代男性

私にとって故郷と言えば、比較的広い範囲「~県」ということになってしまいます。と、言うのも、幼稚園の頃と中学校に入ってすぐ、何れも30KM程離れた場所に引っ越してしまった揚句、高校は、当時の実家から遠く離れた所に…。 すべて県内には収まっていたのですが、幼馴染とか同窓生と呼び合える友だちが高校の同窓生しか居ないんです。 今の実家が故郷と言いたい所なのですが、帰っても連絡を取り合う友だちはおらず…。結局会うのは県内に残る者も多い高校の同窓生くらい。でも、これも散り散りに居るものですから。 子供の頃遊んだ場所と言っても、あの頃はこの辺で、この頃はこっち…みたいな、途切れがち。ず~っと、同じ所で育ってみたかったです。 39才  北海道  既婚 男性

私もずっと関東にはいるものの、生まれた場所、育った場所、その後も引っ越しているので、ず~っと、同じ所で育ってみたかったっていう気持ち、すごくわかります><調査団編集部:マリカナ団長

60代男性

離れてから50年以上になり、すっかり様変わりしましたが 私が住んでいたころは海も山もあり生活に困らないくらいの商店街や映画館などの娯楽施設も適当にありよいところだったと記憶しております。そんな街で高校まで過ごしました。お祭りでいっしょに神輿をかついだり、高校受験を目指して5~6人の仲間で友達の家に集まって勉強したのですがいまでは仲間もいなくなり家もなくなってしまいました。私がいま住んでいるところから2時間くらいのところなのですが年に2回お墓参りに訪れます。私もそのお墓に入るべく考えている昨今です。 73才  広島県  既婚 男性

60代女性

東京です。大都会と思われるでしょうが、私の子供の頃は空地もたくさんあり、遊び場には事欠かなかったです。家から、数分のところに、キャベツ畑があり、モンシロチョウの幼虫を採ってきて、育てたり、商店街も近かったので、貸本屋(わかります?)で本を10円で借りてきて読んだり、甘味処であんみつを食べたり、思い出いっぱいです。ちなみに今は、幼虫は見るのも怖いです。昔は触れたのにな…。 64才  大阪府  既婚 女性

40代女性

香川の農村地帯で、田んぼの様子の変化や、周囲の動植物の変化で、四季を感じていました。何度か引っ越しをしているのですけれど(同じ街の中で)、一番長く住んだのが、そこでした。山際で、いわゆる高台にありましたので、案外、災害には無縁でした。農村地域で、母の実家もあったので、母がらみの人間関係が濃く、私自身は、成長するに従って、息苦しさを感じるようになりました。私はそこで13年過ごしましたが、開発が進んで、大好きだった自然環境が、どんどん壊されていくのもつらかった。良い思い出もそうでない思い出もありますが、私の原点であることは間違いないにせよ、もう戻りたくないし、戻ることもない場所でしょうね。 48才  千葉県  未婚 女性

40代男性

今もけっして都会になっているわけではないが昔、私が子供の頃の今から30数年以上前はいわゆる【ど田舎】でした。まわりは田んぼに畑だらけで、それらに水を引くための用水路。雨あがりの翌日には中途半端に舗装された道路上には干からびたミミズやカエルの哀れな姿(南無。春には土筆が庭先に、秋には赤とんぼが空を覆うんじゃないかと思える程に。まれではあるがカブトムシを庭でゲット!今では危ないからと用水路には蓋がされ、多くの田畑はマンションやアパート、駐車場になっています。国道には量販店にファミレスやファストフード店。大型スーパーやコンビニに100均ショップ…、本当に変わりました。とても便利にはなりました。便利にはなりましたが量販店などに押され個人経営の店は姿を消しました。カブトムシや赤とんぼも見ることはなくなりました。それどころかスズメすら見かけることが珍しくなってしまい「果たしてこれがいいことなのか…」とも思います。ならば「今の便利を捨てられるか」と訊ねられたら「捨てられる」とは言えないですね。あー、カラスは増えました(笑。 46才  愛知県  未婚 男性

50代男性

今、生家から歩いて45分くらいのところに住んでいます。生家のあったところは当時(約50年前)、これから造成されていく途中の住宅街で、マンション・アパートの類いは一切無く、大きな古い家と小さな新しい家が並んでたっているような住宅街でした。まだ造成途中だったので、生家の庭から遠くを見るとローカル私鉄が走っているのが見えましたが、そこまで延々と土むき出しの空き地か畑でした。これが私の(記憶に残っている最も古い風景という意味で)原風景です。生家は人手に渡り、二つとなりの市にできた新しい団地に引っ越し、そこで26年過ごしました。32歳で結婚した際、(一番古い)社宅が故郷と同じ市に有るのを知り、かみさんを説得してそこに入りました。ある機会に生家の近くを通ることがあったので、もう無いのを覚悟しながら生家の様子を見に行ったことがありますが、覚えていたとおりの場所にまだ生家はありました。周辺はまだ一軒家中心の住宅地のままでしたが、畑や空き地だった私鉄線路との間の土地はアパート・マンションが建ち並び、線路は見えなくなっていました。私の故郷は郊外型住宅地で、今でも郊外型住宅地です。 52才  千葉県  既婚 男性

60代男性

我が家は農村の中のメーンストリートで商売をしていました。郵便局に魚屋、雑貨屋さんが2店舗、金物屋、用品店、理髪店、石油店がすべて。子供のころはTVが珍しい時代、力道山のプロレスがある日は、醤油の醸造をしてるお宅へ押しかけて見せてもらっていた。村の中では隠し事ができないなど出来事は共有していました。そういうこともあって、人間関係もよかったように記憶しています。そのうちに、自衛隊の基地ができ、一般の飛行場したりしたので、道路事情や生活環境も一変。昔、走っていたバスの便がなくなったので車なしでは帰れません。そんなこんなで、いまでは、騒がしくも懐かしいふるさととなりました。 72才  東京都  既婚 男性

60代男性

8歳ころまで住んでいたところは鄙びた農村。直ぐ上の兄と山や川に遊び、年の離れた兄に葡萄農家とか山間で暮らす人の処にも連れて行ってもらった。大雨の後に畑で古代の石の鏃などを探したり、自然の中で過ごした記憶がある。その後、温泉町に居を構え小、中、高と進学した。 子供の頃は早起きして母に連れられて共同浴場で朝湯に入り登校したことも。高校時代にはスポーツで町の多様な人びとと様々な交流があったが、その後上京して進学就職し懐かしい人々との縁も薄くなり、八十路を超えた今では知人も少なくなってしまった。しかし、故郷の山河は懐かしい感じを失わない。 83才  千葉県  既婚 男性

40代女性

病院もスーパーも百貨店も大きな書店も全部近くにあって、とても便利だった。車が無くても自転車だけで暮らせた。坂道が無くて、晴れた日が全国一多くて、自転車に乗るのに最適だった。海も近くて、ふらっと遊びに行けるし、果物も魚も種類が豊富で美味しい。夏蒸し暑いと言われるけど、乾燥が苦手な自分の体質はその気候に適応していると思う。親戚も友達もみんな故郷に居るし、私も一生ここで暮らしたいと思っていた。残念なことに就職、結婚が正反対のような地方になってしまったが、定年後は絶対に故郷に戻って、死んだら故郷に埋めて欲しいと強く願っている。 49才  愛知県  既婚 女性

50代女性

東京の郊外でしたが、こ高い丘の上にあり、下の方は清水が湧く池のある公園がありました。下隣は畑であり、見晴らしの素晴らしい場所でしたが、いつの間にか住宅地となりました。都心に通勤をはじめた頃、すぐ上の姉と一緒に朝早くでかけ、始発まで後何分と言って坂道を駆け下りた懐かしい記憶が今でも残ります。庭いじりの好きな父が、柿、水密、梨、栗、果てはブドウ棚まで作っていたところで、梨の実の袋掛けをよく致しました。最近行ってみましたら、実家があった場所はアパートとなってました。広い道路と思っていた道は、拍子抜けする位狭い道で、子供にとってはすべてが広く、大きく思えたのですね。両親が亡くなり、家も手放しますと、切なく哀しい故郷の思い出となりました。 58才  東京都  既婚 女性

60代男性

国民学校2年生で大東亜戦争敗戦を迎え生まれ故郷の名古屋を戦火を逃れる疎開のため6才で離れ終戦後の住宅難からふるさとの名古屋に戻ったのは中学3年生の3学期それまでに戦時中3回戦後3回の転居を余儀なくされた。6才から14才までの8年間その地域の環境で友達との交流により人間が育ちその諸々の経験と人間関係がふるさと感を育むもので有るとすれば、小生に「ふるさとは?」と問われたときあまりにも多くの多感な時期を過ごした場所が走馬燈のようにめぐり「故郷として特定する地域はない」となってしまう。寂しいようではあるがしかしやっぱり生まれて思春期を過ごし所帯を持ち父母を見送り地域に貢献し友もたくさん居てここで死んでゆく名古屋がやっぱり「故郷」と云うべきか。 77才  愛知県  既婚 男性

50代女性

戦後に建設された公営住宅。約300戸が並ぶ木造の住宅地でした。庭があり、4.5畳と6畳の二間。兄が中学に入った年に庭に子供部屋を建てていました。私が中学に入った時に譲り受けました。同世代の人たちが多く、同級生も多かったです。小学校は、入学した時が3クラスで、卒業の時は5クラスに増えていました。進学した公立中学は14クラスもあり、同級生でも知らない人だらけ。とにかくマンモス時代でした。でも、周辺には田んぼや畑が残っていて、ため池もありました。ザリガニを獲ったり、お寺の森で蝉採りしたり、結構自然を感じられるところでした。今は高層住宅に建て替えられているそうです。 59才  兵庫県  既婚 女性

60代男性

父親の転勤の関係で、その町には2~3年、その頃は幼稚園もない町で、小学校も一年生の半ばまでしかいなかったので、故郷と呼べるかどうか。でも、近所で遊んでもらっていたお姉さんは中学校の頃、私の転居先の近くに引っ越してくるし、同期入社の仲間と話をしていたらどこかでつながっている、よく突き合わせてみたらその半年しかいなかった小学校のしかも同じクラスに在籍していた。後には、私も、転勤でその町にある事務所に勤務することがあったし。縁のある場所とは縁があるものなんですね。それを、故郷と呼ぶのかな。 64才  群馬県  未婚 男性

60代男性

生まれた場所から数キロ離れたところで今も生活しています。何度か引越ししたけど、今のエリアから離れられない。都心には短時間で出られ通勤、遊びにも便利マンションなどは多くなりましたが、緑豊かでお気に入りです。小中学校の友達も住んでいるみたいで、お祭りなどで見かけたりします。リタイアしたら家内の故郷で生活したい…なんて思いましたが、冬の数か月暮らしただけであえなく挫折。やはり今の場所を離れられないと実感しました。このまま死ぬまで住み続ける予定です。 66才  東京都  既婚 男性

50代女性

川と山、田んぼだらけの里山のようなまちです。春や夏は、川遊びをしてめだか捕りをしたり、田んぼのあぜ道を走りまわったり。冬は、豪雪地帯で親は雪かきで大変だったでしょうが、子どもにとって雪はおもちゃのようなもので、いろんな遊びを考え出して遊んでいました。近所づきあいも密接で、「こんにちは」の声がしたかと思って玄関に行ってみると、客はすでに茶の間に上がってるなんていうのは当たり前。客に出す茶菓子は、たいてい手製の漬物で、「うまく漬かてるなっす」なんてことを言いながら、おばちゃんたちはおしゃべりしていました。ほんとのどかですよねぇ。 59才  東京都  未婚 女性

60代女性

地方都市のありふれた町。生まれた頃は大家族で兼業農家。父は農家の長男だったが公務員となり祖父母、母、叔父などが農業をしていた。古い家は狭く、どう考えても貧しい……と思っていた。しかし何故か「お金持ち」と周りの人には言われて不思議でした。田畑や家のある土地はかなり広くて色々な花や木があった。東京なら世田谷区のような地域だったと思う。場所は市内でも高台にあり親戚からは「高台の家」と言われていた。ところが今では私の実家は土地も家もないのです。つまり実家はなくなりました。人生は何が起こるか本当に分かりませんね。 67才  東京都  未婚 女性

40代男性

自分のふるさとは今住んでいるところと思っていますが、心にあるふるさとは、子供のころ過ごした両親の田舎です。童謡ふるさとの「兎追ひしかの山 小鮒釣りしかの川」を彷彿とさせる風景は、今も心に生きています。時代は変わり、新幹線が走り、高速が通り、近くにコンビ二ができ、スマホの電波も届く、兎も小鮒もめっきり見かけなくなったふるさと、でも、山や川の風景は昔から変わっていない。そしてこれからも変わらない…この自然の営みの不変さが、ふるさとの歌が今でも口ずさめる所以ではないでしょうか。 49才  東京都  既婚 男性

60代女性

東京まで電車で(当時機関車付きの列車)1時間余の地方都市、遠景に関東平野の独立峰、湖のほとりにあります。高校卒業まで家族と共に暮らし、上京。当時は水産物を商う店多く商業都市、城址公園は観光名所で四季折々に賑わい、町を挙げての祭事も多く活気ある町でした。以来半世紀、両親の後を長姉が家を守って、年に数回の帰省を楽しみました。近年は交通の利便性で東京への通勤圏になり、町から若者も活気も失せて寂しくなりました。ふる里の衰退は心痛みますが、思い出の詰まった大切な町です。 77才  東京都  既婚 女性

60代男性

道北の片田舎で鉄道の駅から三里半(14㎞)ほど入った畑作と林業中心の部落です。神社とお寺があり郵便局やお店もありました。小学校は1学年15名前後で腹式授業、授業時間の半分は自習でした。電気はなくランプかガス灯、燃料はマキ。夏は30度を超えることもあるが冬は2メートル以上の雪が積もる。皆貧しかったがお互いに助け合いながら生活していた。子供にとっては春夏秋冬いろいろな遊びがあった。今は人口も大幅に減って学校も廃校になってしまっているが今でも毎年のように同期会をやっている。 74才  北海道  既婚 男性

50代女性

父に転勤があり、今住んでいる実家で育った時期が一番長かったので、故郷といえると思います。ただ、転校してきたときはとても田舎に感じて、クラスメイトは鼻をたらしたままだったり、方言丸出しで、転校生の家に遠慮なく遊びに来て冷蔵庫を開けたりするのが衝撃的でした。学校のトイレも暗くて寒くてとても嫌でした。大学生になっても、早く家を出たかったです。縁あってまた実家を立て替えて住んでいますが、適度に自然があって買い物等は便利で子育てもしやすくて住みやすいところだと思っています。 57才  千葉県  既婚 女性

50代男性

生まれた町は、五木寛之さんの「青春の門」の舞台、福岡県田川市でしたが、3歳の頃には引越しをしていますので、記憶には残っていませんでした。19歳のころ、バイクで旅をしている最中に、田川を通ったのですが、やっぱりあるのですね、潜在記憶というものは。どこか見覚えがある景色が故郷の記憶を呼び起こしてくれました。そのせいか?その後数十年経過し、戸籍謄本を送っていただきましたが、田川市役所は大変親切に対応いただきました。どうもありがとうございました。 54才  鹿児島県  既婚 男性

60代男性

品川区の大井町が故郷です。小学校の真前に住んでいました。在学中は便利100%で通学2分、忘れ物をしても着替えをするにも全く不自由なし。1度だけ宿題をするのを忘れた時だけは関係無しですね(笑)文房具店や駄菓子屋が便利でした。いやだったのは5人の兄弟姉妹が皆同じ学校なので先生から悪い時だけ引き合いに出され苦労しました。良かった事は上の2人と一緒に徒競走の選手だったので運動会では有名人でしたね。 83才  神奈川県  既婚 男性

50代男性

良くも悪くも大阪。日本で第二の都市。個性的。信号は守らない。食べ物が安くて美味しい。地下街は左側通行。笑いのセンスのレベルが高い。街がゴチャゴチャしてる。オバチャンが名物。お上にタテつく風土。歩くスピードが速い。たこ焼きが大好き。ミナミはコッテリ、キタはシュッと。緑が少ない。暮らすのは便利。アホは美徳。 54才  東京都  既婚 男性

30代女性

小学2年~大学4年まで住んでいたマンション群。目の前に小学校があり、通学時間は5分程度。そこの小学校に通う児童はみんなマンションの住人で、同級生に大金持ちも貧乏人もなく、平均的な家庭の子ばかりでした。中学校も近くにあったが、小学校とともに今は他の施設に変わってしまっている。大学卒業後は、隣町の祖父母の家を改築してそこに一緒に住むように。今でも住んでいたマンションの近くはバスで通りかかったりするので、故郷と言うよりは地元の一部と言った方が良いかも知れません。 39才  神奈川県  未婚 女性

60代男性

小学生の頃、毎年夏休みになると弟と二人で汽車に乗って半日かけて叔母の家に行った。1週間くらいしてから両親も来る。私の古里ではないが、同い年くらいの男の子がいて、そこで遊ぶのが夏休みの最大の楽しみだった。1日にバスが3本しか通らない大自然の山奥。井戸で冷やしたスイカを縁側で食べたり、裏山に登ったり。夜になるとそこのお兄さんが「ほら、あそこに火の玉が見える…」等。今ではほとんどない、古き良き時代古き良き場所。昭和の30年代の後半。今でも私の故郷だと思っている。 65才  愛知県  既婚 男性

60代男性

福島県の飯坂で生まれ郡山市で小学校に入学した。良く東北本線にかかる陸橋に汽車を眺めに行ったことを覚えている。小学校2年で東京墨田区に転居。下町の良さが分かるようになったのは成人してからで、当時はゴミゴミした油臭い街だった印象。その後千葉県八千代市に転居し墓もここに求めた。八千代市から東京足立区の勤務先に毎日通勤していた。人生を振り返れば生まれ故郷は福島県、墓は千葉県、日々生きた街も故郷と呼べば足立区も故郷であろう。 65才  千葉県  既婚 男性

50代男性

生まれたのは別の場所だったようですが、ものごころついてからは2つの場所で過ごしました。最初の場所は当時の新興住宅地。昭和30年代から昭和40年代の初めまで、時代の勢いのままとはいかないまでも、世の中の発展とともに未来に希望を持って暮らすことができた時代です。次の場所は今も暮らしている場所で、市街地に若干近い住宅地。暮らす場所そのものに対する思いは、やはり、子どもの時代を過ごした最初の場所に対する思いが強いですね。 57才  愛知県  既婚 男性

30代女性

都内に、母と兄の3人で借家住まいをしていた。母も早く亡くなり、故郷と呼べる場所は自分にはない。しかし、小学校、中学校、高校は、住まいの近くだったので、故郷のような懐かしさだけはあった。しかし先日、約40年ぶりに、かつての借家付近が、どうなっているのか、歩いてみたが、借家はビルになっており、毎日、買い物をしていた商店街のお店もなく、懐かしさより、故郷のない寂しさだけが心に残った。 33才  千葉県  既婚 女性

60代女性

国道?沿いに発展した町で 酒や、米や、茶店 肉や 靴やと一銭店やがあり町の広場には週に2かい紙芝居屋のおじさんが拍子木を鳴らしてくる のどかなまちでした。学校から帰ると農家のい具根があるうちの庭でかんけり、かくれんぼ をしたり ときには稲刈りや川のどろをさらうお手伝いをして どじょうやふなをとり 夏休みは大きな欅の木の日陰でみんなで宿題の絵日記をかいたものです 67才  宮城県  既婚 女性

60代男性

京都生まれですので、市内を転々としていますが、4歳まで育った家は、120坪の大きい家で、祖母が舐めるようにして可愛がってくれたのをおぼろげながら覚えいてます。心の故郷は、4歳から疎開する14歳まで育った家で、この間に私の人格形成の基礎が出来たと思います。住宅疎開で、今では大通りの下になっていますが、本籍はそこに置いたままにしています。 85才  京都府  既婚 男性

年代性別不明

玄関を出れば1分あれば河原に出られる位川に近かった。台風などで川が増水した時は橋の上から真下の濁流を見て吸い込まれそうな感じを楽しんだ。川にそそぐ田んぼからの小川では魚やザリガニ・カエルなどを取って遊んだ。いまは小川は無くなり橋も立派な橋に架け替えられ、その新しい橋の用地として実家は市に接収されてしまった。子供の頃の思い出の場所(故郷)はすっかり変わってしまい寂しく思う。

30代女性

生まれも育ちも横浜で、のどかなところではありませんが、都会特有の冷たさもありませんでした。物心ついたときからマンションで生活していまして、年に1回バーベキュー大会があったり、もちつき大会があったり、マンション内のイベントが充実していて、参加率も良かったです。未だに参加しています。 25才  神奈川県  既婚 女性

60代女性

仕事で25年住んだ関東(東京、埼玉)仕事は東京銀座へ徒歩5分、先端的なファッションのエリア。黙っていてもその年のトレンドが分る。木村屋の餡パンは今も食べたい!!育ちは大阪当時の心斎橋は上品で「大丸デパート」はエリートの行く場所だった。 81才  奈良県  未婚 女性

40代男性

私の場合、本籍地の都道府県と、生まれた都道府県と、育った都道府県と、成人した都道府県が全部違います。故郷を本籍地とすると、一度も住んだことがない場所です。故郷を生まれた都道府県とすると、今住んでいる都道府県です。故郷を育った都道府県とすると、故郷には帰省先があります。故郷を成人した都道府県とすると、人生で一番楽しい思い出がある場所になります。 49才  大阪府  未婚 男性

60代男性

原発のあるど田舎です。原発以外は緑が広がり就職先にも困らない良い所でした。でも原発事故で状況が一変しました。映画でしか見なかった避難行、恐ろしかった。戻りたいけど、生きている間の帰還は不可能な所になってしまったのが私の故郷です。 60才  福島県  既婚 男性

30代女性

ちょうど宅地開発が進んでいて、新しい家がどんどん建っていました。なので、周りの家も同じ時期に引っ越してきた人ばかり。小学校や公園がすぐ近くにあって、子供がたくさんいました。その代り、商店街やお店は遠かったです。 30才  宮城県  未婚 女性

年代性別不明

住吉大社で育ったと言っても過言ではないほど、毎日遊びに行った場所だった。多くのことを学んだ場所でもあった。今も自然が好きなのはそのエリアがあったからこそと思う。

40代女性

大阪の下町でした。もう近所の人みんな親戚みたいなノリですごく楽しかったです。阪神・淡路大震災で変ってしましましたが、やっぱり大好きで大事な場所だと思ってます。 41才  兵庫県  未婚 女性

60代男性

近くに小山があり、小学校のころは弁当持って、一日中、遊んでた。田んぼの用水路でどじょうやめだかを獲っていた。孫にも教えてあげたいが肝心の土の地面がない。 65才  大阪府  既婚 男性

60代男性

中学時代に、一軒置いて「環七」ができて、環境は大きく変わりました。一番は、向こう側と商店街や友達の家などと切断されたことです。歩道橋はできましたが…。 63才  東京都  既婚 男性

50代女性

親の転勤で栃木県内を転々としていたので、県全体が故郷だと思っている。時代のせいもあるだろうけど、自然が多くてゆったりしていて、山や川が遊び場だった。 54才  埼玉県  既婚 女性

60代男性

気候が厳しい北の農村。周りはみんな貧乏暮し。地域の連帯感が強かったのか、貧乏とか、さみしいとかを感じたことはなかった。 80才  北海道  既婚 男性

50代男性

京都が実家であり故郷だが、両親と喧嘩別れして7年以上帰っていないし、これからも帰ることは無い場所で、忘れたい過去がいっぱいある。 52才  千葉県  既婚 男性

50代女性

いいとこやなぁ~街中でありながら、自然が豊かに残っていて、ザリガニとり、オタマジャクシすくいなど遊んでいた。 55才  大阪府  既婚 女性

40代女性

親戚が近くに多々いる、いい意味でも悪い意味でも血脈の濃い場所。 45才  京都府  未婚 女性

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