
故郷についてのアンケート・ランキング
「あなたの故郷はどんな場所?」「故郷を離れた理由は?」「ふるさと納税の納税先を決めるポイントになるものは何ですか?」など“故郷”に関することをアンケート調査しました。
アンケート実施日時:2015年5月8日~2015年5月14日/有効回答数:3,482
故郷を離れた理由ランキング 1位は就職先が故郷以外に決まったため
故郷を離れた理由は?(複数回答可)

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総計で見ると、「故郷を離れていない」の32%を除き、1位は「就職先が故郷以外に決まったため」で20%、2位は「通学・進学・学業のため」で15%、3位は「結婚を機に」で12%、4位は同率で「自分の転勤で」「親の転勤で」で9%でした。
■「結婚を機に」故郷を離れた女性は4人に1人
男女別で見ると、「就職先が故郷以外に決まったため」「自分の転勤で」など仕事に関係する選択肢は男性のほうが女性より高く、逆に「結婚を機に」は男性が8%に対し女性が25%と、女性のほうが高い特徴がありました。女性の4人に1人が「結婚を機に」故郷を離れているんですね! ちなみに職業別で見たときの専業主婦は4割が「結婚を機に」って答えていました。
「調査団員の声」では、故郷を離れたときのこと、思い出などを教えていただきました。
調査団編集部:カワンヌ副団長
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52年間暮らしてきた故郷を離れるとき涙は見せないと誓い、見送りに来てくれた親友に笑顔でさよならしました。車で移動中、実家の近くに差し掛かったとき姉からメールがあり、『今どこ?』と。もしかして姉は見送りに来てくれて、行き違いになってしまったのではと、もう少し出発を送らせれば良かったと後悔してしまいました。その時 もうここには私の居場所が無いのだと実感し、とても辛く涙が止まりませんでした。明るく振る舞っていても52年の思い出が沢山ありすぎて 何かの拍子に私の涙のスイッチを押してしまいます。 58才 東京都 既婚 女性
52年間も暮らしてきた場所を離れたのですか! それはさみしいですね(つ▽;)新しい場所が少しでもいいところだといいのですが…!調査団編集部:カワンヌ副団長
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東京生まれで神奈川在住ですから、特段の「望郷の念」があるわけではないですが、生まれてから50年間過ごし、一生離れることはないだろうと思い込んでいた東京から家庭の事情で離れることになった時には、自分でも不思議なほど感傷的になってしまい、新しい住まいになかなか馴染めませんでした。今でもすっかり馴染めたとは言えません。人が多くて、ゴチャゴチャしている東京でも、やはり「帰りたい生まれ故郷」であることには違いありません。 53才 神奈川県 既婚 男性
どんな場所でも、生まれ育った場所はそれだけでどこか安心感があるものですよね。私も関東を離れることがあったら、とても不安でさみしい気持ちになると思います><調査団編集部:マリカナ団長
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故郷から遠く離れ、近くに知り合いもいない社会で、1人頑張ってみたいとの思いから、大阪に職を求め、今から50年ほど前に大阪へ来ました。仕事の都合で、子どものころの同級生や、遊び仲間とは休暇の時期が合わずなかなか会えないことが、今となっては寂しいです。故郷での生活の3倍もある大阪での生活ですが、大阪人にはなれません。何時までも長野県人の気持ちは心に強く、高校野球や都道府県対抗競技では長野県を応援しています。 66才 大阪府 未婚 男性
50年経っても故郷愛が消えないということは、それだけステキなところだったということですよね^▽^うらやましいです!調査団編集部:カワンヌ副団長
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第一の目的は、大学院への進学でした。最初は、実家から近い地域を考えていたのですが、指導教官から、「本気で勉強するつもりなら、東京に出なさい」とアドヴァイスされたんです。東京は、実は嫌いだったのですが、その一言で、上京を決意。家族はもちろん大反対でしたから、学費など何とかする必要がありました。結果、新聞奨学生になって、頑張ることにしたのです。旅立ちの朝。仕事で早く家を出る母が、まだ布団にいた私に「元気で、気をつけて」と。それまで喧嘩ばかりで、突っ張っていた私でしたが、さすがに正座して「いろいろありがとう」と、頭を下げました。その日は、友人2人が駅まで送ってくれることになっていて、車で迎えに来てくれました。改札口で、わかれるとき、涙ぐんでいる2人に、「ありがとう!」と、頭を下げ、改札口を出て、手を振ったことを、今でも時折思い出します。 48才 千葉県 未婚 女性
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現在は関西住まいですが、転勤族で関西と東京を行ったり来たりしてますが、若い頃はそれなりに馴染んできました。まあ、その努力をしていたのですが、年を重ねる毎に、関西人と結婚して事を後悔することも…。基本的なカルチャーの違いがあるのです。こちらの親戚と付き合うのは、はっきり言ってきついです。父母亡くなり、墓参の為に帰省しますが、関西では孤独を感じます。でも、仕事もこちらでしているので、そういうことは表には出しません。しかし、自分の遺骨は関西の地には埋めてほしくないと、子供には伝えています。散骨希望です。 64才 大阪府 既婚 女性
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進学で上京、その後東京で就職、結婚、東京暮らしが半世紀以上。未だに記憶にあるのは寮生活のためふる里を離れる朝、乗った列車が動き出して目を向けた窓外に男子クラスメート数人の姿が。場所はホームはずれの垣根の外でしたが、馴染みの顔は列車に向いていた気が。見送りに来てくれた?いや、偶然だったかな?その後音信不通になり分からずのままでした。去年、ふる里に集う会でその中の一人に会いましたが、私は当時の名字も忘れられていました。学校は旧制男子校で、女子10名足らずがいた名ばかりの共学校でした。 77才 東京都 既婚 女性
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最初は疎開先に住んでいたのですが、同じ市ではあるものの駅を一つ越えた先に引っ越しました。5歳の時でしたので、引っ越すことが理解できず、友達と遊んでいたら母が呼びに来て、車に乗せられました。友人にこれでお別れと母がいったのでびっくり、車の後部の窓から手を振ると、友人がしょんぼり立っていた姿が今でもまぶたに残ります。引っ越し先では、紙芝居がありましたが、子供達と交わることができず、学校に行くまで家で遊ぶ子になりました。母にべったりのある意味幸せな時でした。 58才 東京都 既婚 女性
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実は商家の長男だったが、大学卒業と同時に、自分のあこがれの仕事に就くために町を出た。父の怒りを買い、勘当という憂き目にあった。数年間帰ることもできなかったが、仕事にうまく慣れ、子供ができたころ、その古風なしきたりは自然消滅した。それから数十年、誰もいない父母の家をリフォームして、思い出とともに数週間をすごしている。この文章を書いているその同じ時間、偶然わが故郷を舞台とする日曜昼のテレビの「歌合戦」が始まった。ふるさとが僕を呼んでいるのだろうか…。 71才 東京都 既婚 男性
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とてもつらいので話したくはないのですが、生まれてから住んでいた土地で高校まで過ごして大阪で就職し、勤務地は浜松・名古屋・東京・浜松・東京の推移です。浜松(地元)に戻った際に、営業所が出来て喜んで戻り、家も建てたのですが2年半後に潰れて東京へ。以後、戻れず現在に至ります。親は動けないので私がローンを払い続け、アパート住まいです。退職して地元に帰ろうにも職がありません。せっかく求人倍率も上がっているのに残念です。 56才 千葉県 未婚 男性
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半強制だったため会社の寮に入りましたが、車が無ければ日用品や食料品を購入するのに苦労するような郊外で、自宅から通うよりも早い時間に出ねば間に合わず、しかも途中駅なので1時間立ちっぱなし(自宅は始発駅が最寄りなので座れた)という場所なので、日常生活に関しては良い思い出はありませんでした。その中で唯一の思い出は、映画などの舞台になっていた場所を探して散策したことです。ネットが発達した後は有名になり、自治体も積極的に案内などを始めたようですが、当時は案内板もロケ地マップのようなものも無かったため、自分で想像しながら散策するのが休日の楽しみでした。 45才 神奈川県 既婚 男性
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出発の日が17日だったことは今でも覚えています。実家は商店だったので店名などを印刷したカレンダーを毎年作り、客先に渡すだけでなく家でも各所に貼って使っていました。子供のころから見慣れたそれは縦二列に各日のコマが並ぶタイプで17日は二列目の一番上でただでさえ目立つ場所。そこに当時は母が私の旅立ちを惜しんでか大きな赤い丸を描いたから、いっそう目に焼き付いてしまったのですね。しかもそのカレンダー、故郷を離れてからも毎年私の所に送られてくるので、いまでもずっと使い続けているのでなおのこと。まあ赤い丸は描かれていませんが(笑) 51才 神奈川県 未婚 男性
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疎開の時代は悲惨な環境と生活で思い出したくもない。住宅事情の悪い名古屋へ落ち着くまで三河地区の疎開先から三河地区内2度の転居で中学2年生に尾張地区に転居し3年生3学期にやっと名古屋に戻った。三河地区での最後の転居では友人と別れるのがいやで地域の小学校2校を飛び越して4年生から卒業まで3年間を雨の日も風の日も自転車通学をしていた。それでもつらかったのは家に帰ると住地区の子供との遊びで学校間のギャップが埋められず地域の友に深くつきあえるものができなかったことが寂しい想い出である。 77才 愛知県 既婚 男性
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生まれてから幼稚園時代・小学校3年から中学3年間のトータル11年、実家で過ごし高校入学と就職(定時制高校)をきっかけに実家を離れました。育った環境が、あまり良い状態ではなかったので実家を出られる事がすごく嬉しかった。実家にいる母が、入学先の土地へ向かう列車の駅まで見送りに来てくれたけど、友達のお母さん方は子供との別れを惜しんで泣いていたのに、家の母だけが何故か泣いていなかったのがとても不思議で未だに印象深い思い出です。 46才 静岡県 既婚 女性
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養子不可の長男(私)と養子希望家庭3人姉妹の長女とが結婚。両家は「養子にくれ」「それはできない」と正反対の意見でかなり険悪になった。私と家内は当事者として両家の中間地の市に居住することにし、両家を面倒見る立脚をめざした。私の実家と家内の実家は60km位しか離れていず、以後両家ともよく私の家に出向いてきた。時に鉢合わせもあったが、もうすでに両家とも割り切れていて、仲は良かった。今は、4人の父母は彼岸に渡り、思い出の中だけに残っている。 75才 福岡県 既婚 男性
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昔の田舎では、長男が家を継ぎ、長男以外は実家を出るのが当たり前のようになっていた。自分は二男で、社会人になるために実家(故郷)を離れた。やはり「五月病」になったが、実家(故郷)には帰れないから頑張ろうと思った。兄からは、兄弟が遠く離れても、短時間で行き来できる時代になったし、万が一、災害などに遭っても身を寄せ合う兄弟がいるという安心感をもって生活していこうと言われ、それ以降はホームシックにかかっていない。 64才 神奈川県 既婚 男性
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進学で故郷を離れ、卒業後は戻る予定だったが、就職したのが大阪。転職もしたものの、事情で数年前に故郷に戻りました。学生時代はアパートじゃなく下宿だったので、大家さんに色々と頂いたり、こちらも実家から送られてきたものをお渡ししたりという交流を持てたのが良かったですね。高校時代の同級生も数人が近くに居たし、父が数回、用事で来たりしていたので、それほど寂しく思わなかったかも? 53才 香川県 未婚 女性
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商店街の賑やかで大人数の中から見合いで嫁ぎ、突然知らない土地での二人きりの生活を始めましたので、ホームシックに掛かりました。泣いてばかりいる私に、主人が「一度実家へ帰ってみたら?」とアドバイスをしてくれましたので、ワクワクしながら里帰りしました。するともう私の居場所はなかったのです。それからは、主人と二人だけの生活が、かけがえのないものになりました。 71才 群馬県 既婚 女性
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父の実家なので、父の転勤で私達家族がそこを離れても、祖母が居る限りは故郷の家は在ったのですが、私が大学を卒業した頃祖母が病になり、また街の環境があまりにも悪くなった為(車の排気ガス等)、その家は売却してしまいました。自分の子供時代の記憶の場所が失われ、とても淋しかったですが、都内は相続税などの関係で、実家を保持できないケースも多いので仕方ないです。 45才 東京都 未婚 女性
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生活は、のんびりした田舎の生活から一変しました。居候先の江東区・木場から都電で東京駅に出て、そこから電車に乗り換えて勤務先へ。ごちゃごちゃした東京での生活やら、初めて出会った仕事とやらの対応に追いまくられて、ホームシックを感じる暇もなかった。でも、田舎の両親や兄弟たちの笑顔が心の中にあって、何時も勇気づけられていました。 72才 東京都 既婚 男性
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高校入学で故郷を離れて学校の寮に入った。寮生活最初の朝、起床時間に部屋のスピーカーが電源が入った音がして、流れた曲が荒井由美の「翳りゆく部屋」。その曲が流れる中で、起床し、ベットメイキング、着替え、部屋の前に整列、点呼…今でもこの曲を聴くと、初日の緊張と、心細さを思い出します。 55才 秋田県 既婚 男性
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これでようやく嫌な家族と離れられるかと思って嬉しかったこととその逆に大好きな地元を離れなければいけないのかという悲しい気持ちでした。結果的に人生の半分弱は東京や名古屋でしたのでその時代に戻れるなら戻りたいです。 51才 新潟県 未婚 男性
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離れたと言ってもお隣の市なので、いつでも見に行ける距離でした。でも、家族は誰もすんでいなかったので、行く機会はほとんどありませんでした。結婚を機に引っ越す事になり、近くの布団屋さんで新調しました。納入するのに「荷物を入れる日に合わせて配達する」と言ってくれましたが、そんな日も無かったので、普通に配達してもらいました。そしたらきれいに飾りつけしてくれて、花器をお祝いにとくださいました。そのところだけ、嫁入りの雰囲気でした。 59才 兵庫県 既婚 女性
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大学入学時に東京に出てきた際に、よく周りの人と故郷の話になりましたが、それまでに複数回引っ越しをしている自分にとっては、「出身どこ?」と聞かれると、出生地を答えればいいのか、長く住んだところを答えればいいのか、愛着のあるところを答えればいいのか、大いに迷いましたし、今でも聞かれる度に、相手がそんな厳密な答えを求めていないと分かっていても悩みます。シンプルに生まれ育った場所を答えられる人が羨ましいです。 38才 東京都 未婚 女性
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私は18歳の時、家を出て生活を始め保安隊に入隊し、その後自分の出身地部隊に転属に成り、部隊移動と共に、退職し名古屋に就職し、家庭を持ち現在の場所に居つきました。深夜でもネオンの明るい土地から、何もない田舎の場所に来たときはとても寂しく、夜も中々思い寝付かれなかった思い出が有ります、現在は、交通の便も良くなり街も繁栄し住みよくなり、高齢と共に住めば都と感じています。 80才 愛知県 既婚 男性
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就職を決めるとき、ほとんど親に相談もせずに東京の会社を決めてしまいました。今になってみると、親は寂しかったのではと後悔しています。それでも初めて上京するときには父親が一緒についてきてくれました。そのことだけで、許してもらえたのかなと思っていますが、今は亡き両親には、なにも言わずに送り出してくれたことを感謝しています。 63才 栃木県 未婚 男性
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第1の故郷を離れたとき 転校したので心細かった 都会から田舎だったのでカルチャーショックしたのを覚えてる 進学の時 とっても うきうきした 田舎から都会だった 自分の学びたい事 新しい友達 毎日が天国だった 61才 岩手県 既婚 女性
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兎に角就職難の時代、親の為に無理して難関を突破就職、しかし三交代現場努力しても成果見られず、退職ご幸い大手の医療機関に再就職、つらかった田舎の生活より都会が楽しく感じた、また田舎の会社でつらいことが多かったですね。多かったた 69才 埼玉県 既婚 男性
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友達はみんな結婚して地元からいなくなっていたし、私も仕事が忙しくて、帰宅の最終電車の時刻を気にするような環境だったので、実家を離れることしか考えていなかった。解放感しかなかったような気がします。 59才 東京都 既婚 女性
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故郷は離れてみて、初めて、その良さを感じるものと思います。単身赴任で京都にいたとき、新幹線で関門トンネルを抜けて、北九州の山を眺めて初めて、「あぁ九州はやっぱりいいね」と痛感します。 54才 鹿児島県 既婚 男性
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狭く人間関係の濃密な郷里から、広く未知の世界が広がる首都に行き、そこで学び、暮らしていくことに希望の他にためらいや不安を感じていたが、孤独ではなかったのが救い、励ましだった。 83才 千葉県 既婚 男性
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私にとっては、わずか3年間の疎開生活でしたが、親友、畏友をたくさん得た地でもあり、よそ者として村八分された地でもあり、複雑な心境です。 85才 京都府 既婚 男性
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仕事の転勤を機に、親元を離れ、大阪から北海道に行った。親元を離れるといっても、所詮職場の寮での暮らしで、何かあれば同僚に相談できるし、食事も、昼の給食だけでなく、夕食も申し込んで出してもらえたので、全く不安はなく、一人暮らしへの憧れとワクワクした気分でいっぱいだった。 50才 大阪府 既婚 女性
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結婚後、実家を建てかえて同居をしたが、良くある話で嫁姑の関係が悪く、両親の態度もそれまでにないほど、おかしくなっていた。このまま居ても良くならないと思ったので、家を出て隣町に引っ越した。今は、両親とも交流があるが、出て行った話しはお互いしていない。 50才 岡山県 既婚 男性
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学生時代に一時離れたが、帰るたびに空気がおいしいと感じた。芳香剤で森林の香りのものがあるが、あれに本当によく似ている。学生時代は毎年5月になると花粉症で体調が悪くなったが、故郷に帰ってからは5月の体調が抜群に良い。 54才 北海道 未婚 女性
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中国山地から広島の高校に進学しました。 1年生の時に広島の早い情報の流れや文化に触れ、如何に自分が井の中の蛙であったと思い知らされました。 色々な考え方の友人が沢山でき、これが今でも自分の支えになっています。 71才 兵庫県 既婚 男性
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離れたといっても同じ市内なので、感慨はあっても寂しさというほどでもありません。しかし、思い出がたくさんあるので、夢に見ることもありますし、今はどうなっているのか、気になるときもあります。 59才 大阪府 未婚 女性
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辛い事から逃げ回っていても何も解決しない、またここでも失敗する。という気持ちとこれだけ環境をリセットしたのだから今度こそやっていける。という気持ちが入り混じっていた。 41才 神奈川県 未婚 女性
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「前略」で話のできる友達がいなくてつまらなかった。今のようにメールやSNSもなかったし、電話代も高かったから、そういう友達と簡単にやりとりできなかった時代でした。 56才 神奈川県 未婚 女性
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故郷を離れていないが,結婚して相手の故郷(沖縄)に10年程度いたことがあるが,沖縄は故郷と呼ぶに相応しい土地である,引退したら引っ越したい。 56才 埼玉県 既婚 男性
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現在ではありませんが、学生時代に北関東の実家から仙台へ行っていました。最初の年に何か物足らず、翌年、仙台では麦秋がないことに気づきました。
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30年前に、両親の都合により故郷を、しかたなく離れた時、私は、涙が止まらなかった。多くの友人を失い、とても悲しかった!
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小学校卒業時に実家の転居で離れました。中学は過疎化で廃校が決定、高校は下宿が前提だったので、仕方ないと思ってました。 51才 山形県 既婚 女性
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五十数年住み慣れた東京を離れる前、紅葉の街路樹と真っ赤な夕日を眺めながら、いよいよ故郷を離れるのだなと思いが募った。 65才 鹿児島県 未婚 男性
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戦争・独立・転勤・家族構成の変化などの理由で1か所に定住できなかった。 79才 東京都 既婚 男性
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失恋をきっかけに半分自暴自棄になって、、、、、。 75才 神奈川県 既婚 女性
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誰にでも故郷があるわけでないのに、必ず出身地とか挨拶代りのごとく聞かれるのははっきり言ってうざい。むしろ転勤族の子どもだと私のような人も多いと思うのに。 56才 千葉県 既婚 女性
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実家で仕事もないし、大学ももちろんないし。特別に何も感慨はないかな?いずれ帰るところでもありますから。 42才 福岡県 未婚 男性
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煩わしいことから離れられると思った。友人とは近くにいても遠くにいても同じくらいの距離感であると思えた。 40才 東京都 未婚 女性
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就職先の職場が全国的であり、そこに就職した時から故郷を離れるのが当然であった。 79才 神奈川県 既婚 男性